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(前略)

──このとき、トレーナーに厳しく言われて、高橋さんは途中でセンターをほかのメンバーに譲ろうとします。結果的には最後までセンターでしたが、韓国ではその姿にとても注目が集まったようです。

個人バトルだったら、ヴォーカル、メインヴォーカル、ラップとかそれぞれの役割を果たしていればポイントをもらえるけど、グループ評価はセンターがダメだったら全部ダメになっちゃいますから。私、代わった方がいいと思って。

私自身、「こんな感じですぐ諦めることになるとは」って思っていました。でも、みんながもうちょっと練習しようって言ってくれたんです。

私は韓国語の本を持って片言で話している状態なのに、チョ・ユリとか韓国の子たちがかばってくれたことにびっくりしたんです。このとき、初めて絆を感じました。

もちろん韓国の練習生たちも、みんなセンターをやりたいんです。だけど、それでも私でいいと言ってくれたから、その子たちのためにも絶対にいいパフォーマンスをしないといけないって思ってから、ものすごく距離が縮まって仲良くなりました。

──こうしたとき、これまでAKB48でずっとやってきたというプライドが傷つくことはなかったんですか?

私も7年ほどアイドルをやってきて、「7年間なにしてたの?」って言われたときに、もう絶望でしたね(笑)。心の底から。ああ、なにしてたんだろうって。

韓国の練習生たちは期間が2年や3年だし、みっちりレッスンを受けてきたと言っても、私は7年もステージに立ってきましたから。

そう考えたら言葉を失いました。本当に。ただ、どうしたらいいんだろう、って。恥ずかしいってすごく思ったけど……ボロボロでした。

──でも投げ出さなかった。

はい。それは、悔しかったからです。ステージに立ったとき、強さを見せてやろうって気持ちでずっと練習していました。自分の実力がどうこうというより、食らいついたらどのくらいまで行けるんだろうって気持ちでやっていました。だから諦めなかったんです。

というか、諦めないことしかできないんです。みんな以上のことはできないし、韓国の子たち以上のこともできない。洋楽に合わせてフリーで踊れって言われてもできないですから。だから、諦めない以上のことはできないんです。

トレーナーにはひどく怒られたけど、そこでも諦めない気持ちでいたら、どれぐらいまで上に行けるかなっていう気持ちでやっていました。だから、AKB48ではセンターになりたいって言ったことはなかったんですけど、向こうではぜんぶのミッションでセンターに立候補しました。そういう気持ちでした。

──その内容は、AKB48の延長線上にあるものでしたか?

延長線では結べないレベルでした。「自分はAKB48でこれをやってきたから、これができる」ということは何もなかったです。本当に。

……あ、でもひとつだけ。私、(AKB48チームBの)キャプテンをやってるんですけど、コミュニケーションはすぐに取れました。

ランク分けのときに隣に座っていたグループ(MND17)や、最初のバス移動のときに隣に座ったチョ・ヨンインとか、すぐに仲良くなりました。

合宿所も日本人2人、韓国人4人の部屋になって、韓国語の本を持ってコミュニケーションを取りました。まだあまり話せないから、かなりフィーリングでしたけど、すぐに仲良くなれたのは感動しました。そういう点では、AKB48の延長戦でした。

でも、それ以外はまったく違う世界でした。

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