アイドルグループAKB48、NMB48のメンバーとして活動してきた市川美織さん(埼玉県久喜市出身)が、5月1日の劇場公演でグループから卒業する。4月16日の午後6時30分からは、さいたま市大宮区の大宮ソニックシティで開催される自身の「卒業コンサート」で埼玉に凱旋する。「フレッシュレモン」キャラで駆け抜けた約8年の軌跡を聞いた。(森本勝利)
―AKB48に加入したきっかけは。
子役として芸能活動はしていましたが、鳴かず飛ばずで…。芸能界に向いてないと思ったりもしました。その中で見つけたのがAKB48の10期生オーディション。これでダメだったら芸能界を諦めようと思って受けた最後のオーディションでした。
―AKB48チーム4時代の思い出について。
活動当初は推されメンだったと思います。9期の島崎遥香さん(埼玉県出身)や島田晴香さんなどとお仕事する機会も多く、特に『有吉AKB共和国』(TBS)ではレモンキャラが定着しました。その当時から応援してくれているファンの方も数多いです。
―2013年のNMB48兼任発表、そして完全移籍(2014年)が発表されました。
チーム4ができたけどすぐ解散。つぎのチームBでは立ち位置も後ろになり、どうしたら良いか悩んでいました。力不足でどうすることもできず、結果、残ったのは「レモン」のイメージだけ。つらくて辞めようかとまで思いました。その中で希望の光だったのがNMB48との兼任。ただ、偉大な横山由依さんの後任で不安しかなくて、落ちぶれた「レモン」が何をすれば良いんだろうと。それでも同期からは「NMB48のみおりんは輝いて見えるよ」と言われて、本当にNMB48に救われたという気持ちでいっぱいです。
―AKB48グループに在籍した8年間を振り返って思い残したことなどはありますか。
「ないっ!」て言えるぐらい楽しみました。一番嬉しかったのは兼任時代に出演した『ここにだって天使はいる』公演です。センター曲『おNEWの上履き』もいただけて。一からオリジナル公演を創り上げられたのは貴重な経験でした。
―「広島レモン大使」に任命された時のお気持ちは。
埼玉県出身の私をレモンが好きという共通点だけで選んでくれて、広島県は心が広いなと思いました(笑)。特にご担当のJA広島果実連のみなさんのおかげで、さまざまなお仕事を経験させていただいています。
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コメント
コメント一覧 (1)
業務命令で難波に行かされようが卒業になろうが与えられた場所で精いっぱいやってる
レモンは立派だと思います
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